4日目その1 ヒヴァ~ウルゲンチ~ブハラ

4月19日(金)

【主なスケジュール】

 7:30 ヒヴァ メロスB&B 発

 9:25 ウルゲンチ空港 発

10:30 ブハラ空港 着

11:00 ブハラ アムレット・ホテル 着

ブハラ 観光

ブハラ アムレット・ホテル 泊

7時半出発なので、6時半起床。この日も屋上に上がってみたが、理想的な朝日は撮れなかった。

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7時半前にロビーに行く。左手がフロント、奥が朝食室、手前の水色のスーツケースは私のです。

 2日分の宿泊費やツアー代をまるっと支払おうと思ったら、なんと「Wi-Fiが繋がらなくて料金が確認できないからちょっと待って」と言われました。そうだね、ここのWi-Fi遅いもんね……けれどまさかスタッフ側も同じ回線使ってるとは思わなかったよ。フロントマンは雇われスタッフさんでオーナーに電話をして指示を仰ぐも、電波はいっこうに回復せず最終的に「宿泊代○ドル、ツアー○ドル」と一件ずつ紙に手書きし「合計額これね、OK?」となった。私も自分のメモと確かめて「うん、あってる。スム払いで良い?」と計算して紙幣を並べる。端数は切り捨ててもらったような。

けれども、これで出発できるぞと思いきやお願いしていたタクシーが来ていない。フロントの防犯カメラの映像では外にセダンが止まっており、私は迎えかと思っていたのだけど「あれはうちの車」と言われる(関係ないが、私が泊まった宿にはすべて門の外を確認する防犯カメラがついていた)。またフロントマンがオーナーに連絡し「待ってて」と言われる。時刻は出発予定だった7時半をすぎている。飛行機は9時半、空港まで1時間弱。前日にオーナーに「出発8時でも良いんじゃない?」と言われたが、7時半にしておいて正解だった。同じようにテイクアウトをお願いしていた朝食は無事に受け取れました。
待つこと数分、車が来た。おお、昨日のドライバーさんだ! ピンチヒッターなのか忘れてらっしゃったのかわからないけど、ここからは君が頼りだ!!! また幹線道路をびゅんびゅん飛ばしてウルゲンチに向かう。昨日は怖かったけれどありがたい。私は後部座席で優雅に朝食を食べていた。ナンやビスケット中心でゆで卵もあった。8時20分にウルゲンチ空港に到着する。「ナイスドライバー!」を別れの挨拶にしました。

前日のツアーから引き続いてのトラブルで宿の評価も下がりそうなものだが、個人的には手違いって海外旅行あるあるだと思っている。飛行機には間に合ったしユルタでのランチも食べられたし宿泊自体は快適だったので、まあいいかなという範囲だ。ドライバーさんの心広き態度も大きかったですね。トラブルが旅の醍醐味とは思わないが、間違ったり失敗したりがあるものと考えて行動しているとダメージも少ない。でも、確認はしっかりしよう。意志の強さ大事。要望を伝えるの大事。英語力がなくてもなんとか……ならない場合もあるけど、相手に聞く意志があるならなんとかなるのではないか。

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2回目のウルゲンチ空港です。インターナショナルって書いてあるけど、国内線もここから出ていた。私が乗るのは、首都タシケント行きで途中でブハラ空港に寄る便だ。手続きカウンターは混んでいた。観光客が多く、いろんな色のパスポートがやり取りされている。前に並んでいたグループがガイド付きのメキシコ人で、どういう理由で中央アジアを選んだのかすごく気になる。向こうからしてみたら一人旅ジャパニーズウーマンも謎なんだろうけど。

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チケットは保安検査のときに青いスタンプを押されました。搭乗ロビーには小さな飲食店もあった。

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徒歩で飛行機まで行く。なぜか前後にタラップがついていたので、面白そうと後方から乗った。今回はちゃんと自分が指定した席に座れたぞ。となりの白人系のおばあさまがクロスワードパズルをされていた。洋画・洋ドラでよく見る老人仕草はリアルらしい。

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通り抜けるだけだったウルゲンチの街。住宅が規則正しく並んでいる。

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1時間も経たずにブハラ着。降りる人は数人で預け入れ荷物もすぐに出てきた。雨が上がったところで幸先が良い。

さて、ここまで駅や空港への送迎は宿にお願いしていたが、ここは自力でタクシーを探しての金額交渉になる。前もってブハラのホテルに「迎えに来てください」ってメールを送ったら「うちで手配すると10ドルだけど、空港でタクシー拾ったら1ドルで来れるよ」と良心的なのか違うのかよくわからない返事が返ってきたのだ。
出入り口に群がるドライバーたちにホテル名を告げ、1ドルは現地人価格だろうから3ドルまでに収めようと2ドルから交渉して3万スム(380円)で決定。人数が少ないせいかスムーズでした。ドライバーさんもほとんど迷わず、20分ほどで宿に到着する。

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宿泊先はアムレット・ホテル。古いマドラサ(神学校)を改修しており、インテリアなども当時風に凝っている。小さいブティックホテルという趣きが人気で、ここの宿泊が組み込まれた日本のツアーも目にした。

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出入り口は地味です。「AMULET HOTEL」のプレートの上に当時のマドラサ名が書かれたプレートがある。でも読めません。

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入ったらこんな中庭が広がっている。ヒヴァでたくさん見てきたマドラサと同じに、中庭を取り囲んで各部屋が設けられている。ウズベキスタンの伝統的家屋自体、外観は壁でそっけなく、中庭を飾る構造のようだ。

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チェックインには早かったけれど、1階のシングルルームに案内してもらう。かわいいよー!! 天井が高いから圧迫感がないし、透かし窓を残しながら防犯のために金網を張るなど当時の造作を使いやすくしている。左にバスルームがある。

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バスルームは床暖房です。これはバスタブに見えるんだけど、シャワーの受台でした。夜にスタッフに「ストッパーは?」て尋ねて説明されて恥ずかしかった。Wi-Fiも快適です。部屋の扉は二重でした。鍵までかわいい!! 

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二階でウェルカムドリンクをいただきます。奥の円屋根はモスクらしい。今は使われていない。

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チャイハナに座ります。お茶のセットもかわいいー!! このお茶菓子はポピュラーらしく、他の店でも出てきたし一部はバザールで買っておみやげにした。

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 雨が降ったあとなので、中庭ではチャイハナを干して掃除がされていた。ここは朝食場所にもなるので、日本で仕事に疲れたときにホテルの写真を見ては「この素敵な中庭でご飯を食べられるから…」とイメージトレーニングをしてきたのだが、残念ながら翌朝は雨で叶わなかった。

観光施設は徒歩圏なので、近い順に向かう。まず、チョル・ミナルというミナレットを目指す。GoogleMapはヒヴァより通じるが、細い道が多くて普通に迷う。この一帯は旧市街で、土の道ばかりだ。水たまりがあちこちにあって、車が通ると泥はねが起こる。乾燥地帯だから排水が整備されておらず雨が降ると街が水浸しになる、というレポを読んだが、なるほどこういう状態か。各家から排水管が空を通っているのも特徴的。ヒヴァのような土壁はなく、焼成レンガの外壁が多い。

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猫ちゃん!×2!! 

きょろきょろ歩いていると、アザーンが聞こえた。イスラム圏なら必ず流れるという祈りの時間の呼びかけだが、4つの都市で聞こえたのがはここブハラだけだった。ウズベキスタンは、もうイスラム国家じゃないよと言われるくらいゆるいそうだが、スカーフをかぶっている女性は一定数いるし、霊廟に行けば若い人でもお祈りしていた。日本の感覚からすると十分に宗教が浸透している。

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アザーンの音源のモスクはこちらでした。円屋根の上に星と三日月が飾られている。金曜日の礼拝だから参拝者も多めだと思うが、静かだった。

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目的地のミナレットが見えてきた。

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チョル・ミナルです。チョルは4本という意味で、かつてはマドラサとセットだったけれど、今はなくなった。周りは公園になっていて花壇やベンチがある。ヒヴァよりも観光施設らしさが強い。

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4本の塔のタイルのデザインが違っている。昔はてっぺんでコウノトリが巣を作っていたそうで、今は模型がある。内部はお土産屋物屋でした。以前はミナレットの上にのぼれたらしい。

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これは裏口の様子。アラビア文字装飾が美しい。

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向かいには旧ソ連もののお土産物屋がありました。懐中時計、動かなくても格好良い。ヨーロッパ人団体客が来て軍服の価格を尋ねたら、200ユーロ(2万4千円)だそうで。ぼってる!!!!

チョル・ミナルを離れて南のほうへ。ブハラのユダヤ人街に向かいます。ブハラ・ユダヤ人と総称されている人々が住んでいる場所です。イラクやイランから流れてきて16世紀ごろには大きなコミュニティになったものの、ソ連崩壊後はニューヨーク等に移住したので残っている人々は少ない。民族にとって重要な場所を物見遊山気分で見るのは一抹の罪悪感もあるが、日本ではふれる機会のないので足を運びたかった。まあ観光地と密接しているしユダヤ人邸宅がホテルに改築されていたりなので、そこまでセンシティブにならなくても良いのだろうが。

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これは当初宿泊するつもりだったユダヤ人商人の邸宅だったホテル。実は、サマルカンドにもユダヤ人街があるので、ユダヤ人邸宅に泊まりたい欲はそちらで満たすことにした。

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16世紀にできたシナゴーグ。このときは扉が閉まっていたが、翌日夜に尋ねたら入れたので後ほど出てきます。他の家も、壁や扉にダビデの星が飾られていた。
また、このレポートで知ったドロンというトンネルを探す。少ない土地を有効活用するための通路なのだとか。

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あんまり見つからなかったけれど、この2つはドロンのはず。私の背丈より低いので、くぐり抜けるのはやめました。

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ユダヤ人街がなくても、街歩き楽しい。じろじろ見られたりもなかったです。これは、協力して車の通り道を空けようとしているところ。

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ヒヴァでも街路樹になっていた桑の木は、ブハラでも多かった。実がなっている。
南に下がっていくと、開けた場所でおじいさんが羊に草を食ませていた。

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お願いして写真を撮らせてもらう。耳がたれた羊は日本ではあまり見かけない。ぜんぶで6頭いて、乳用か羊毛用か食用か……。あちこちの塀の内側から鶏や馬(ロバ?)の鳴き声も聞こえたので、家畜は珍しくないのだろう。

一周できたのでメインストリートのバハウッディン・ナクシュバンディ通りに向かう。

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大通りに近付くと、土の道が終わって舗装された路面になる。

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観光地らしい! ヒヴァより人も多いです。お土産が気になるが、ご飯を食べてからにしよう。ミンジファというホテルに併設されたレストランに行く。

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2階の窓際の席で、スープの中に小さな餃子が入った料理を食べる。いつものグリーンティーもあわせて2万3千スム(290円)。

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外には、タキ・バザールの円屋根が並んでいる。古くはシルクロードを旅してきた品が並ぶ両替市場、宝石市場、帽子市場があった。今は完全に土産物屋街です。