2020年、BLMデモに行ったこと
昨年に引き続き、はとさん主催のぽっぽアドベントに参加します。
9日目のユズシマと言います。
今年は3つもカレンダーがあって、さらににぎやか!
テーマは「変わった/変わらなかったこと」ということで、私は「黒人差別への世界的な抗議活動という大きな変化を目の当たりにし、BLM Kyotoデモに参加したこと」を書きます。
うわー長い。そのうえ堅苦しい。
しかし、BLMが何かをご存知ない方にも読まれる可能性を考えて、この変化の説明から始めます。BLMは、私も今年の5月までちゃんと知らなかった言葉ですし、ひやひやしながら、あちこちの解説記事リンクを貼りながら進めます。リンク先は逐一読まなくてもわかるように書きますが、時間のあるときに目を通してもらえるとうれしいです。
Free Peopl Vectors, 238,000+ Images in AI, EPS format
BLMとは
Black Lives Matterの略語で、黒人差別への抗議活動のスローガンである。日本語訳は「黒人の命は大事」がベターかなと思う。メディアでも統一されておらず、このコラムでは訳するときに必要な文脈や、スローガンになった経緯も説明されている。 mainichi-kotoba.jp
つまり、BLMは2020年以前から存在したスローガンであるが、今年の5月25日、アメリカ合衆国ミネソタ州でジョージ・フロイドさんという黒人男性が警察官に首を圧迫されて死亡する事件をきっかけに、BLM運動がアメリカ全土、そして世界に広まっていった。
コロナ禍により、人間が多く集まることは感染拡大の危険と隣合わせだったが、抗議者たちはマスクをつけて街中で人種差別への抗議を訴えた。
むしろ、コロナ禍が人種間の差を可視化して、抗議活動をより活発にしたのだと思う。この記事では、黒人や少数民族の感染率・死亡率の高さと原因を取りあげている。世の中が混乱すると、社会システムの歪みはもっとも弱いものに向かってしまう。
報道の中には、BLM活動者が略奪をした、火をつけたといった過激さを煽るものもあるが、ほとんどは権利と法令に則ったデモである。
この記事によると、今年5月26日から8月22日に全米で発生したBLMデモのうち93%は平和的なものだったそうだ。
反対に、このデモを取り締まろうとする警察官がさらなる暴力を働いて……という報道も多かった。私がSNSで見た動画には、活動者を押して道路に倒して出血しているのに放置したり、活動者の車椅子を破壊したりがあった。痛ましい。
日本の感覚では、警察官の役目は民衆を守ることであるが、アメリカでは警察官の特権化や重武装化が進んでいる。そして、警察官に対する「限定的免罪(Qualified Immunity)があり、自浄作用が働きにくい。
この記事に例が挙げられている通り、警察官が逮捕などを行うときの不必要な暴力や破壊は裁判にかけられても無罪になりやすいのだ。
そもそもジョージ・フロイド氏が警察官に殺された(現在、この元警察官は第二級殺人罪で起訴されている)のも、警察組織が黒人に罪を着せる傾向があるからだ。
この記事では、アメリカに住む黒人は警察官に射殺されやすく、逮捕されやすく、実刑を受けやすいことを解説している。
しかも実刑を受けた人々は、安価な労働力として経済活動に組みこまれており、現代の奴隷制度とも呼ばれている。
この実態と歴史を描いたNetflixドキュメンタリー『13th -憲法修正第13条-』は、BLM活動が活発になったことにより、You Tubeで無料公開された。字幕設定で日本語も表示できる。
私は最初に「世の中が混乱すると、社会システムの歪みはもっとも弱いものに向かってしまう」と書いた。社会システムが生み出した差別を、構造的差別と呼ぶ。同じ人間なのに同じスタートラインに立てず、スタートしたあとも負荷をかけ続けられることだ。
アメリカに住む黒人の場合、先程の警察官からの不当な暴力はもちろん、部屋を貸してもらえない、企業や自治体で管理職になりにくい、レストランに入ろうとして拒否される、バンドエイドが肌の色にあわないなど、黒人でなければ視界に入れずにすむことをことあるごとに背負わされ続ける。
社会のルールが黒人以外で作られたものになっている傾向が強く、決定権を持つ立場になりにくいから変化を起こすことが難しい。負の連鎖だ。
BLM活動は、こういった社会の仕組みを変えるために、法律や制度の是正、企業の努力を呼びかけている。
私はTwitterではおもに海外映画沼にいるので、海外の政治・社会ニュースも流れてきやすい。ジョージ・フロイド氏の事件を知ったときは、最初は「ああまたか」と思った。
「ああまたか」とは、黒人差別への抗議表明や活動だ。当事者にとっては唯一無二での経験と怒りだが、この2020年においても過激な黒人差別がアメリカに存在していることは知っていた。珍しくなかったことも知っていた。しかも、日本にしか住んだことがない私にとって、アメリカの黒人差別問題は遠い。「遠い」とは知識や経験がない立場の人間が、理解や共感を軽率に言うべきではないという感覚も混じっている。だからこのときも詳細を知ろうとする一方で、この出来事をちゃんと憶えていられるだろうかと考えていた。
しかし、スマホの画面越しに見えるBLM活動の量や熱意は、すぐに尋常でなくなっていった。トランプ大統領の脅迫的な声明が報道され、さらに抗議活動が大きくなり、Twitterの企業アイコンが真っ黒になり、Instagramの俳優アカウントでは、デモに赴く動画が配信された。
6月3日に、スター・ウォーズシリーズの俳優、ジョン・ボイエガがロンドンでデモに参加したことは大きく報道された。BLM活動がアメリカのみに収まらなかったのは、黒人が世界中に住んでいて、差別は世界中に存在するからだ。
彼はこの後、SWの製作時に非白人への差別があったと訴えることとなる。
私はBLMという言葉を今年の5月まで知らなかったと書いたが、差別問題には関心があり、ここ数年は差別を題材にした映画(在日朝鮮人、ユダヤ人、黒人、先住民族、そして女性、性的マイノリティ)は積極的に見るようにしていた。歴史的事実を取り扱った映画も多い。
したがって、BLM活動が黒人にとっていかに切実で重要なのか、遠い立場なりに理解できた。今回のBLM活動が歴史に残る段階まで来ていて、大きくなればなるほど未来の社会を動かせる確率が高くなる。そのことも予想できた。
はたして、BLM活動の波は日本にもおとずれた。6月7日には大阪で、6月14日には東京で大規模なBLMデモが行われた。
私が住む京都では、6月21日の日曜日にデモが行われるということも知った。
私がBLMに参加した理由
つまり、前から黒人差別に関心があったために、デモに参加することになった。
そう一言でまとめてしまえば楽なのだが、私の内心はもうすこし複雑だった。この記事のテーマも「変わったこと」なので、ここからは心の変化を書いていく。
だって社会活動って、現代日本人にとっては気が重いじゃないですか。
この文章を書く前に読んだこの本によると、アメリカで20%ほどのデモ参加率は、日本では8.3%だ。署名や座り込みといった、社会活動全体に向けられる眼差しの厳しさも説明している。
社会活動なんて、やりたくないしやられたくない。現在、私が生活を営んでいる場所はそういう社会構造で、私も少なからずその傾向に染まっている。
同書はこの心理に着目して「わがまま」と「おせっかい」という言葉を用いて、社会活動をときほぐしている。
行動を起こす際にひっかかりがちな「偽善じゃないの?」「一度参加したら最後まで続けるべきでは?」「燃えつき症候群になったら」「当事者でもないのになぜ?」なども例を挙げながら、思考の道筋をつけている。
実は、私がデモ活動に参加するのは初めてではない。昨年、性暴力に抗議するフラワーデモに行った。1回のみだが、私以外の多くの方々が取り組んでくださったので、現在も継続されているし、性犯罪に関する刑事法検討会には、性暴力当事者が委員になっている(今年の法改正を予定していたが、国会が閉会しちゃったから来年になるのかな。論点はこのサイトがわかりやすい)。
話をBLM Kyotoデモに戻そう。
フラワーデモは女性である自分にとっても身近な問題だったし、その場で静かに経験や想いを語りあう形態だった。しかし、BLM Kyotoデモは京都のど真ん中を練り歩く。ルートは祇園~河原町御池だ。観光に訪れるだけでも、絶対にこの道のどこかに接触するくらいメジャーな場所だ(だからこそ、京都では一般的なデモルートなのだが)。だいぶ見られるし恥ずかしいだろうなとも予想できた。
そして、ひとり参加である。集団行動がめちゃくちゃ苦手なのも、私が社会活動に二の足を踏む理由のひとつだ。自分ひとりくらい行かなくてもいいか、という考えも湧いてくる。
そのうえ、日曜日は外出したくない。私の自宅からデモの開催場所までは片道1時間かかり、在宅勤務は存在せず、土曜日も基本的に仕事なので、日曜日は丸一日家でリラックスするのがここ何年かの習慣になっている。
本当に怠惰で申し訳ないが、この「外出したくない」は結構デカかった。しかし、それを理由にデモに行かないのも、せっかく芽生えた気持ちをつぶしてしまってもったいない。ので、自分が「外出したい」になるよう気持ちを調整することにする。
まず翌日の月曜日に、有休をとった。
デモの出発地は祇園であり私は滅多に彼の地に行かないので、集合前に鍵善良房で名物のくずきりを食べることにする。八坂神社では、疫病退散の茅の輪くぐりをやっていると聞いたので、お参りすることにする。デモの解散地点と映画館が近いので、終わってからは黒人差別を題材にした『ルース・エドガー』を見ることにする。
デモ参加がついでのようになってきたが、デモの特別感がうすれて緊張が減っていく。もしもデモで嫌な思いをしても、他の楽しみで気持ちが落ちこまないだろうという安全装置も兼ねていた。
悲壮な出来事に対する抗議活動であっても、参加者がずーっと悲壮な顔をする必要はない。今までに見た映画でも、デモ準備はみんなゆるく楽しく進めていた。ハレの場だからね。『パレードへようこそ』の準備シーンは大好きだ。
大勢に見られること、報道や写真撮影に対しては、サングラスで匿名性をあげることにした。マスクもしているから充分だろう。
参加に向けての、最後のひと押しは憤りだった。
大阪や東京のデモが報道されたとき、SNSでは「黒人差別なんて日本にはないのに」「中共の陰謀か?」「よく知らない人間が集まって」という声が多く見られた。大阪のデモでは、テニス選手の大坂なおみさんがTwitterで参加を呼びかけて、多くの口さがない攻撃を受けた。この流れはリアルタイムで見ていた。
どうやらBLMデモに反対する方々は、日本に人種差別はなく、参加する人は国外のなんらかの陰謀の工作者、もしくは深く考えずにその場の雰囲気に酔っている人間なのだと決めつけている。*1*2
私のように、黒人の知り合いも親戚もおらず、映画を入り口に関心を持って、ニュースを追って、デモに参加すべきかと考えている地元の人間なんて、存在しないことにされている。
しかも、日本に人種差別がないってなんで言ってしまえるのか。私だって清廉潔白な自信なんかまったくないし、職場でも「最近、コロナで中国人や韓国人の観光客が減って良かったわ」などを耳にして、気が遠くなったりしている。
このふたつの記事は、差別が見えない、気付かないことがすでにマジョリティの特権であるという解説だ。
京都では、2009年に在日朝鮮人の通う小学校の前で在特会がヘイトスピーチを行った朝鮮学校襲撃事件があった。2014年に在特会側の敗訴で人種差別が認定されており、2016年にはヘイトスピーチ解消法が施行されたが、その後も法令に違反していない場所でのヘイトスピーチは続き、2019年には10周年と称したヘイトデモが行われた。
私も2019年2月、朝鮮人アナキストを描いた映画『金子文子と朴烈』の公開日に、映画館の近くでヘイトスピーチが行われていたところを目撃した。
これらは黒人差別ではないが、日本における人種差別が近年激しくなっているのは共通認識ではないのか。
白人至上主義者に取材した『白人ナショナリズム-アメリカを揺るがす「文化的反動」 』では、彼らは日本人に対して、人種の血筋が保持されていることに共感しているという。勝手にお友達認定しないでほしい。単一民族などと間違ったこ発言をしちゃう政治家がいるからでは? 日本人の態度が黒人差別のどこかに加担していると思うと、本当に恥ずかしい。すべては地続きになっている。
そもそも人種という概念は科学的ではない。社会が人種を規定している面はある。しかしこの記事にある通り、人種を理由にした差別が存在する以上、抗議活動を続ける意義は大きい。
それでもやはり、私は黒人差別から遠い人間だ。だからこそ参加して連帯の大きさを示す意義があると思った。
BLM Kyotoの参加
今回のデモの主催者は、Twitter、Instagram、Facebookアカウントを作っていて、情報が細かく発信されていた。私もFBグループに登録申請をして、FAQなどを参照する。服装コードは黒、プラカードに使えるネットプリントが登録されていたので使わせてもらう。京都市の新型コロナあんしん追跡サービスの登録も推奨されていた。私も心配要素だったが、2週間前の大阪のBLMデモでは感染者が多数出たとは報じられなかったので、マスクをつけて一方向を向いていたら問題なさそうだった。
さて当日、デモ活動は…と行きたいが、ハイカロリーな文章が続いているので小休止を。
鍵善良房の名物くずきり。デモの集合前に食べたやつです。喫茶でしか食べられないのだ。観光客が減ってるはずと高をくくっていたら、普通に並んでいた。
左の容器のみつにつけて食べる。白みつと黒みつが選べて、私は白みつ。つるつるさらさらなのにやわくない食感なんですよ。
そのあと、八坂神社へ行って茅の輪くぐりやお参りをした。感染防止に鈴緒が撤去されてセンサーで音が鳴るようになっていた。
これは本殿。
デモの集合場所の円山公園は、八坂神社と地続きになっている。神社の敷地を北に向かって歩いていくと公園に入り、集合場所の広場が見える。観光地で桜の名所なので、ここも春先は花見客のシートで埋めつくされている。
現場の人数はすぐに増えていった。半分以上は海外ルーツの外見の方で、ボランティアスタッフたちも英語だった。コロナ禍で帰国を余儀なくされた方も多いだろうに、現在も京都に住んでいらっしゃるんだなあ。私が「海外の方、多い!」と思うのは、アメコミ映画やスター・ウォーズ公開日の映画館なのだが、こんな状況で実感するとは。逆に言えば、日本人に見える人は少なく、地元人として来て良かったと思えた。
スタッフは、細かくコロナ追跡サービスの声かけをして回っていた。FBでも募集があったし、専門スタッフによる写真撮影とグループ内のアップもあった。企画から実行までの時間が短かったのに、かなり組織だった動きであったと思う。
参加者側は、お子さん連れから年配の方まで幅広かった。何も知らずになんとなく来てみましたという雰囲気は少なく、ひとり参加も少なくなさそうだった。そして、予想以上に人数が多い。
私がネットプリントしてラミネートしたプラカード。みんな何かしら抗議文を持っていた。
時刻になったので、主催者から英語と日本語で主旨の説明があった。続いて、ジョージ・フロイド氏を始めとする、警察官の不当な暴力で亡くなった黒人の名前が読みあげられる。ひとりひとりが唯一無二で、かけがえのない生命だった。「黒人」とひとくくりにしてはいけないのに「黒人」であるがゆえに奪われた。
そして、黙祷が捧げられた。ジョージ・フロイド氏が首を圧迫された8分46秒で、とても長かった。あの動画は最後まで見られなかったし、今も見ていない。”I can't breath(息ができない)”の悲鳴は今こうやって世界中に届いたが、本当はあの瞬間に誰かに届いて、なんらかの助けが来るべきだった。近くでは、すすり泣きが聞こえていた。
ミネアポリスのジョージ・フロイド氏への追悼場所 https://unsplash.com/photos/_vAC0je-hKo
黙祷が終わり、出発に移る。「写真撮影されたくない方は最後に出発してくださいね」とアナウンスがあったが、サングラス効果とせっかちゆえに、早めに出発。一列の人数が決められ、ソーシャルディスタンスが念押しされる。
天気は写真の通りに曇っていて、歩くには苦にならない気候だった。警察官の先導で、円山公園内から四条通りに出ると、わっと人の目が集まってくる。片側二車線が通行止めになっていて、私たちが行進する道になっていた。打楽器にあわせてチャントを叫んでいると雰囲気にはすぐ慣れた。私がいた集団は、"Black Lives Matter"がほとんどだった。
鴨川を渡る手前の光景。本当は、鴨川を渡ってるときが一番映えると思って写真も撮ったが、参加者の顔がしっかり入っているので割愛する。
歩道からの視線は「なんなの?」「外国人がなんかやってる」「怖い」が込められていた。マイナスの感情は、口に出されなくても伝わるものだ。私にもそっち側の時期があったし、もしかしたら今もそうだったかもしれない。今後、社会活動に積極的になれるとも思えない。ただ、今日は車道を歩いて"Black Lives Matter"を叫んでいる。
四条河原町を折れて北上するころには、せっかくやってるんだから、しっかり目立たないとになっていた。笑顔を向けてくれる人や、一緒にこぶしを突きあげてくれる人もいた。目撃した人にとって、何らかの思い出になっていることを望む。
終着地点の河原町御池。
主催者からの挨拶では、多くの人が集まったこと、平和的なデモ活動になったことへの感謝があった。ここで自由解散となったので、私も離脱する。鴨川の河川敷では、参加者同士の交流もあったらしい。
ほんの30分ほどの経験は以上になる。
特別な時間だと思ったし今もその気持ちは変わらないが、この12月にアドベントカレンダーのために思い返してみたら、6月の記憶はとても遠かった。
あれからGo Toキャンペーンが始まり、日本の総理大臣は変わり、黒人差別を訴えていた俳優チャドウィック・ボーズマンと女性初の最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグは亡くなり、大坂なおみ選手は全米オープンで黒人犠牲者たちの名前をつけたマスクを着用して優勝し、アメリカの次期大統領はバイデン氏に決まり、オリンピックは開催される予定で、日本でのコロナ感染は第二波から第三波になった。
コロナ禍の毎日は、飛びこんでくるニュースのひとつひとつが心にささくれを作っていくので、反応するだけで疲れていく。世の中が良い方向に向かっていると思える瞬間は、その反対よりもずっと少ない。まともに見つめると憂鬱になる一方だ。
人種差別のニュースに限っても、先月公開されたNIKEの人種差別反対CMのリプ欄が「日本に人種差別なんてないのに」で埋めつくされたことは、6月から一歩も進んでいない気分になった。*3
私はTwitterで意見を主張することに向いていないので、たいていの政治・社会のニュースも読むかRTだけで終わっている。沈黙は片方への加担という意見には同意するが、こればっかりは何回やろうとしても難しかった。最後の一線は見ないふりをしないことなので、今後も心にささくれを作りながらニュースに接していくだろう。
その結果、この記憶はもっともっと遠くなるかもしれないが、それが今を生きることなのだから仕方がない。
反対に、こうやって自分の言葉で残せる機会があって良かったです。ここまでお読みいただきありがとうございました。
なお、去年のアドベントカレンダーで書いた猫は今日も元気です。
2019年、猫と生活することになりました - Somewhere Else
明日のアドベントカレンダーは、麦酒さん、あだもさん、ジジさんです。