3日目その1 ヒヴァ~古代ホレズム王国遺跡ツアー
4月18日(木)
【主なスケジュール】
8:00 朝食 出発
9:00 ヒヴァ メロスB&B 発
古代ホレズム王国遺跡ツアー
15:00 ヒヴァ メロスB&B 着
ヒヴァ ヌルラボイ宮殿、イチャン・カラ 観光
ヒヴァ メロスB&B 泊
午前6時の日の出にあわせて5時50分に起床。屋上から日の出を撮りたかったのだけど、雲が分厚くかかっていて太陽はちらりとしか見えない。ここホレズム州は、年に300日晴れると言われている場所ではないのか。そのうえ雨まで降り出した。
ヒヴァの街は、3~4階程度の高さで屋根が見通せる。
早朝のイチャン・カラ撮影もあきらめ、共有スペースに寝っ転がって朝食まで本を読む。旅先で自宅みたいな行動をとると、めっちゃ贅沢している気分になるな。旅行中こそ電書が活かされる場面だろうが、私はスマホなどの電池の減りが心配で紙で4冊持ってきた。
出発時から読んできた本書をここで読了。視点切り替えを利用したミステリーで頭のおかしいキャラクターたちが面白かった。最初のシーンが空港のバーで、旅行というシチュエーションの事件の起こしやすさにうなずく。これはフラグではないです!
朝食です。ランチョンマットはウズベキスタン特有のアドラス模様だ。中心のはクレープみたいな生地で、左下から時計回りにチーズ、ナッツに砂糖をまぶしたようなお茶菓子、パンとナン、ビスケットやパン、ヨーグルト、桑の実のジャム。ウズベキスタンのナンは地方によって違っていて、ヒヴァは薄手です。食べやすかった。ブラック・ティーはストレートでちょうどだった。量は十分なんだけど、炭水化物ばかりで野菜や果物がほしくなる。ウズベキスタンはメロンやスイカのおいしさが有名なのだが、シーズン外で市場でも見かけなかったです。
同じテーブルには若いカップルと老後のんびり夫婦がついていて、二組ともアメリカ人。「次はブハラ?」「どうやって行くの?」と情報交換していた。私はおじいさんに「今日はどこに行くの?」と尋ねられて「アヤズ・カラなどの遺跡に行きますよ」と答えたら「どういう場所?」と続けられて詰まってしまう。回答ができても説明はできないんだな……。
本日は、古代ホレズム王国の遺跡のトプラク・カラ、キジル・カラ、アヤズ・カラを見に行く。片道100キロ以上、2時間もの行程だ。古代ホレズム王国とは、紀元前にキジル・クム砂漠に発祥した国だ。アム・ダリヤ川流域に都市が作られ、1940年代に遺跡が発見された。1000以上の城(カラ)があるらしく、全貌はわかっていない。ホレズムとは太陽という意味で、現在は州名にもなっている。
ツアーは午前9時出発。宿の外に出たら雨はやんでいた。若いドライバーさんと挨拶と握手をする。お名前聞いたけれど忘れてしまったなあ。英語は私よりできました。ここで出てくるドライバーさんとの会話はごく一部を聞き取って書いていると思ってください。観光先では他のドライバーと気さくに喋ってらしたが、客は放っといてくれて楽だった。
車は前日の幹線道路を通って北東に向かう。Google Mapは相変わらずダメだけど、Maps.meが器用に現在地を追ってくれる。ドライバーさんはシートベルトなしでけっこうなスピードで走っている。ウズベキスタンでは珍しくないようだが、帰りに自動車事故を見かけ……ボンネットががっつりひしゃげていた。
アム・ダリヤ川を渡り、ウズベキスタン国内のカラカルパクスタン自治共和国に入る。「カラ」は黒、「カルパク」は帽子の意味で、ウズベキスタン国土の37%を占めている。民族や言語、文化、国旗まで独自で大統領もいる。憲法はウズベキスタンの憲法内で調整され、外交権は持っていない。人口180万人とのことだから、福岡市から札幌市くらいです。国土の8割が砂漠だ。
入国すると言っても手続きは不要で、このRPGみたいな門があるのみだ。なんにもない平原に突如として現れるから、異世界度がすごい。車を止めてもらって写真撮影。遠近感がおかしい。
風景はどんどん田舎になって、道路も未舗装になる。けれども道沿いの人家は途切れずにある。バスは通っているようだが、道路沿いをロバに引かせた車が通ったし牛や羊の放牧もちょこちょこ見かけた。物珍しくてきょろきょろしてしまうが、向こうからしたら日常だもんな。想像もつかない生活だ。2時間ずーーーーっと平地なのも信じられない。
その人家もなくなったので、キジル・クム砂漠に入ったらしい。完全な砂地ではなく、荒野が数歩進んだ状態だ。植物の緑がまだら模様を作っている。斜め前に巨大な建造物が見えてきたと思ったら、それがトプラク・カラだった。道の途中に簡素な金属のゲートがあって、女性に入場料5000スム(65円)を支払う。ドライバーさんに「遺跡それぞれで要るよ」って言われたけど、アヤズ・カラでは門番がいなかったので支払ってない。ゆるいです。
遺跡のふもとに車が止まり「はい、あそこからのぼって」と言われる。そこそこに角度のある砂の斜面だ。動揺したらしく、全景写真がないですね。
のぼっている途中。砂というより土で、人の手が入った跡が壁のようになっている。できたのは紀元前1世紀~紀元5世紀ごろ。
日干しレンガの城壁! 焼いて仕上げる焼成レンガではなく、土を固めて乾燥させただけだ。表面には観光客が彫ったらしき名前があって…こういうの、全世界共通ですね……写真に入れてないけどゴミも落ちてるよ。この塔みたいなかたまりのあいだの斜面をのぼりました。
すると、こういうアーチ状の場所が出てくる。かまどの跡だ。ホレズム王国はゾロアスター教(拝火教)を信仰していたので、聖堂の跡でもある。
遺跡の外はひたすら平たい。なにもない。これ何回も言ってるけど、本当に馴染みがない光景で恐怖に近いんですよ。青空の下なら陽気になれたのかもだが、雨がぱらついて風も強くなって吹き飛ばされそうだ。自然…厳しい……。
中心部の居住区跡。日本で見た、縄文時代の遺跡を思い出した。
幸い他にも観光客がいらしたので、もし滑り落ちても大声を上げたら助けに来てくれそうでした。あとでこの団体のガイドさんに「日本人?」「あっちが東で仏教の名残があって」と教えてもらう。出土した壁画などにはガンダーラ美術の影響があったらしい。さすがシルクロードの都市だ。
居住区の壁の上を歩く。段差は1メートル以上ある。
修復された部分や観光用の階段も設けられているが、打ち捨てられた風情が素晴らしくて複雑だ。わがままな観光客だ。
日干しレンガのアップ。曇り空はホワイトバランスが統一されにくくて、砂の色味がばらばらです。
突き出した木はイチャン・カラの壁でも見かけたが頑丈にして通気性を上げるためなのかな? 奥の方に走ってきた道路が見えます。遺跡を下りて車まで戻る。
次は、キジル・カラへ。10分ほどで着きました。
城塞だー!!!! 修復されてすごくわかりやすい。1 ~ 4 世紀に作られたものの放置されて13世紀のモンゴル襲撃時に再建された…が、ホレズム王国自体がチンギス・ハーンによって滅ぼされました。ウズベキスタンの他の都市も侵略されたので、ここでチンギス・ハーンの評判は悪い。
他にも観光客がいらっしゃるし、上り口には階段があって安全だ。修復された土壁と本来の土壁の境い目がよくわかる。
城壁の内側。トプラク・カラのように区画の跡などはなく、でこぼこした広場だ。グランタ皿の内側にいる感じ。
でも、こういう塩梅で「何かが作られた跡」がある。
自生している植物。タマリスク(御柳)だと思うのだが、水が少ないせいか紫色の花がまばらだ。
城壁の銃眼らしきあと。
広場をぐるっと一周したので、車まで戻る。
ドライバーさんと乗ってきた車。トランクがゆるいのか、走行中にときどき開いていた。ドライバーさんのナイスガイぶりがこのあと出てきます!!
30分ほど走って、最後のアヤズ・カラに到着する。
でかい!! 遠い!
道路を挟んで反対側に、右上に観光用のユルタがあります。
私はツアー予約のときに「昼食をユルタで摂りたい」とリクエストしていたのでドライバーさんにもユルタにも話が通っているものだと思っていた。しかし車を降りて「ランチのこと聞いてる?」と尋ねたら「聞いてない」と答えられる。おっと。前日の確認のときにしっかりチェックしておくのだった。英語がダメだと小さなコミュニケーションを厭ってしまう。ドライバーさんは「ちょっと走ったところの町にレストランがあるから連れていくよ」と言ってくれたが、私は「ここで食べたいんですよね」と主張した。「じゃあユルタの人に聞いておくよ」との返事で、私はひとまずアヤズ・カラに向かう。
………が遠い。今までで一番遠い。駐車場所からカラまで1キロ以上あるんじゃないか。でかくて有名な遺跡のはずなのに、観光客もいないっぽい。ここで猛烈に寂しくなる。ひとり行動が大好きでこの世でもっとも怖いものは人間だと思っているので、寂しいなんてめちゃくちゃ珍しい。いや野生の獣があらわれたらやばいけど、ひとりであそこまで行って見て回るのが不安になる。でも行きたい。考えたすえに、iPhoneで音楽をかけながら進むことにする。映画『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』のオープニングと同じだ。主人公ピーター・クィルがひとりきりで惑星に降りたって遺跡の中に入っていくときの心細さがわかる。彼はソニーのウォークマンだったけど、私は人がいないのでスピーカーで鳴らすぞ。
場所が変わったせいか砂質が違う。砂漠、と聞いてまず思い浮かべるさらさらした手ざわりだ。風紋ができて足が沈む。植生も変わったのか、玉ねぎのような植物が点々とある。ちょっと禍々しい。
遠いと思っても、歩いてたら近付いてくる。この斜面も下りるときやばかった。
着いたぞーーー!! 6~7世紀に作られた城で、近くにはアヤズ湖がある。「冷たい風の宮殿」という意味なので、川や湖から風が吹いてきたのかな。
音楽を鳴らしていたせいで、壁の隙間からスカーフをかぶった女性が「ハイ」と顔を出しました。写真撮影を楽しんでいたカップルでした。良かった、人がいた…。
このアーチ型の部分が回廊らしい。中央上の小さな人影がカップルです。私は怖くて、あの高さまで上れなかった。
アーチの内側から。地面が埋まってトンネルみたいな低さになっている。基本的に四角い日本建築からすると、ヴォールトやドームなどの曲面は新鮮だ。
ここもキジム・カラと同じく、城壁に囲われたスペースだ。残念ながら建物などの跡はなく平ぺったい。広さは野球のグラウンドくらい。
土がひび割れている。これも新鮮!
アヤズ・カラは1~3までの遺跡の集合体である。このときのぼった一番大きいのがアヤズ・カラ1で、端まで行くとアヤズ・カラ2が見える。離宮的な扱いで、1とは橋で結ばれていたらしい。
1~2キロほど離れているのかな? 最初は行きたいなと思っていたが、1を下りたときには気力がなくなっていた。3は確認できなかった。
周りではラクダが放牧されていて、遺跡らしき直線が見える。標準ズームレンズではこれが限界。
城壁がしっかり残っている場所もある。
足がかりを見つけて城壁にのぼってみた。普通に危ないので、しばらく進んでから下りました。そしてアヤズ・カラ自体からも下りる。
砂の質感はこんなです。この斜面をのぼろうとしたら足が滑って沈んであきらめました。ゆるいのは見た目だけだった。
時刻は13時前になっていた。車に戻り、ユルタの昼食はどうなったかなとドライバーさんに尋ねてみたらやはり「ユルタのスタッフも聞いてないらしい」との返事でした。「高いからおすすめしないよ。近くの店に連れて行くよ」と言われたが、「私はユルタで食事がしたいので」と言い切りました。だって、こんなに遠くまで来たのにユルタに入れないのは残念すぎるじゃないかー! 「申し訳ないけれど、待っててもらえる?」とお願いすると「もちろんいいよ!」と返事が来たので甘えました。ナイスガイ! このドライバーさんの昼食はどうなるのかな……と思ったが、英語力の無さと宿の連絡ミスが問題では…という気持ちが勝って尋ねられなかった。すまない。ドライバーさん、快く待っていただいてありがとう。
というわけで、ユルタに向かって歩いていきます。こちらも観光客及びスタッフの姿はゼロで、観光用ラクダだけが徘徊している。
この写真はあとで撮ったやつですね。来たときはこんなに晴れてなかった。
食べるぞと決めたものの食事の交渉がうまくいくとは限らない。予約必須とあったからその日のぶんしか作っていない可能性もあり、最悪、ユルタの写真だけ撮らせてもらおうと妥協ラインを引く。ちなみに事前情報では昼食価格は10ドルだった。物価の安さが気を大きくしている。
スタッフルームっぽい建物で「ハロー!」と声をかけると年配のご婦人がでてきた。英語で「ランチがとりたい」と何度か繰り返すと理解されたらしく、娘さんらしき若い女性にユルタ内に案内される。第一関門は突破だ。
案内されたユルタ。入り口のカーペットはラクダかなにかの毛皮だった。左奥のはユルタ型だけどコンクリ製なので、バックヤードなのだろう。
靴を脱いで入る。手前がテーブル席で、奥が座敷になっている。
天井の造作。遊牧民族の住居なので、解体できるように各部は紐で結ばれている。骨格には、よくしなる木が使われている。写真は明るいが実際はかなり暗いです。あとで真ん中のランプをつけてもらった。
飾りがかわいい。奥の帯状のも刺繍です。とりあえずドリンクをとグリーンティーを注文する。
いただきながら、外に出て周りの写真を撮る。
別のタイプのユルタ。宿泊用かな? 竹のすだれのようなものが使われていて親近感を覚える。昔からあったんだろうか。
なぜかブランコがある。せっかくだから乗ってみたよ。
写真を撮っているうちに、さっきの若い女性に「もう終わり?」と英語で尋ねられた。「え? 食事の提供待ちなんですけど?」と聞き返して何度かやりとりするうちにランチではなくお茶だけ頼んでいたことが発覚。通じてなかったのか! 彼女は「私の母親は英語がうまくないから」と言ってらしたが、そんなの私もだよ……気をとりなおして「今からランチはとれる? 難しい?」と尋ねてみたら「言ってみるから待ってて」とのお答え。もう一回マダムが来て、私に再確認をしました。うーん、コミュニケーション、難しい。難しいが、自分の希望はしっかり伝えなければ叶う可能性も出てこない。
そして、出てきたサラダ4種類とナンとスープ。日本人的に珍しいのは、左奥のビーツや真ん中奥の紫キャベツ、手前左のカリフラワー(ここでは揚げている)かな。市場でも売られていたし他のレストランでも出てきた。しかし、私はどうもウズベキスタンのサラダはドレッシングが合わなくて、他の店でもあまり食べられなかった。手前のキャベツのサラダは食べやすくて完食。野菜が摂れたぞ! スープは「食べる?」て確認されてから出されました。トマトとじゃがいもでめちゃくちゃおいしかった。食べている最中にラクダの声が間近で聞こえてどきっとする。有料騎乗できるらしいですが、今回はドライバーさんを待たせているのでスルーした。
「肉料理は?」とけっこう勧められたが、食べ切れないのでお断りする。お会計は15万スム(1900円)でボラれてるとわかったものの支払った。食べたあとに値切るの難しいよね!! 私のあとに行った日本人がボラれていたら申し訳ない。マダムは上機嫌に「次は泊まっていってよ」とおっしゃっていた。そうね、次があるならラクダにも乗りたいし、アヤズ湖にも行きたいぞ。
これはトイレ。清潔で水洗だった! ちなみにヒヴァもブハラもサマルカンドも観光客施設近くのトイレはすべて洋式できれいでした。和式のやばいトイレが多かったのは、なんと首都のタシケントだった。
観賞用の荷車とアヤズ・カラ遠景。この写真だけだと2019年とは思えない。
車まで戻る。ドライバーさんは愛想よく迎えてくださって、帰りは全寝でヒヴァまで辿り着きました。車は楽だー! 砂の城での筋肉痛がだいぶ癒やされました。